彦根城博物館 特別展示
「松居石材商店の歴史」

- exhibition -
tel:0749-22-0093
令和4年(2022年)9月8日(木)~10月4日(火)

特別展示での案内文

松居石材商店は、現在も彦根市元町で営業する石材店です。江戸時代、初代松居孫兵衛が北小松(現大津市北部)から彦根に移り、文政12年(1829)に彦根城下で創業したのが始まりであると伝わります。
同店は、3代目松居六三郎(1866-1936)のときに大きく隆盛し、近代彦根で活躍をします。本展では、その活動の様子を、同店に伝来する古文書や古写真、石造品を通して紹介します。

松居石材商店は、その名のとおり、墓、燈籠、鳥居、石碑などの 製作や販売を行っていました。明治43年(1910)に彦根に建立された井伊直弼銅像の台座や、多賀大社の昭和の大造営といった、大きく注目される仕事にも数多く携わっていました。
また、同店3代目の松居六三郎は、石材加工の高い技術を持ち、自作の石造品を博覧会などに出品していました。

主な展示資料

石造釣燈籠

明治36年に大阪で開催された第5回内国勧業博覧会に出品された、石で作られた釣燈籠です。松居石材商店3代目の松居六三郎による作品です。 一部を除き、鎖の部分まで含めて一つの石から切り出して製作しています。屋根の端の渦巻き形の返しなどの細かな装飾は、石造品を作る際の難しい造作です。また、内側・裏側まで丁寧に作られており、松居六三郎が高い技術を持っていたことが分かります。

お客様のブログにて
「石造釣燈籠」に関する
ご評価・ご紹介を頂きました。
久志能幾研究所 小田 泰仙様
  石職人の神様が超絶閑技で
「石造釣灯籠

井伊直弼銅像台石工事契約書
明治43年7月26日
官幣大社多賀神社幣殿外二廉
石工事及基礎工事設計書
昭和5年(1930)10月

明治43年に尾末町(現彦根市尾末町)に井伊直弼銅像が建設されました。その台石の製造を請け負ったのが松居六三郎でした。
昭和4年から同8年にかけて行われた多賀大社の大規模な造営工事では、幣殿・廻廊・祝詞舎などの石工事や基礎工事を松居六三郎は請け負っていました。

井伊直弼公 供養塔文字原稿

天寧寺(彦根市里根町)にある井伊直弼供養塔のかたわらに「井伊直弼公供養塔」と彫られた標柱があります。この資料は、その文字原稿です。
おおもとにはこの文字を普通に筆で書いた原稿があったと推測され、本資料は、トレーシングペーパーのような紙で、その線の輪郭をなぞって書いています。これにさらに、赤鉛筆のようなもので紙の裏面に文字の輪郭をなぞっています。この赤色を石材に転写して、石材を彫っていたと見られます。

日下部鳴鶴書簡 宮崎鉄幹宛

日下部東作(鳴鶴)から宮崎鉄幹に宛てた手紙です。松居氏と宮崎鉄幹とは親戚であり、宮崎鉄幹と日下部鳴鶴は旧彦根藩士同士でした。
鳴鶴は、山本の基標の字を書きましたが、それに対して「陸軍」の2字もう少し大きくするように先方から注文を付けられた述べています。それに対して鳴鶴は、基標を見たときに同じ大きさに見えるように少し字の大きさを調整して文字を書いているのであり、受け入れられないと返答しています。

題額

題額とはトンネル入口の上部に掲げられる文字盤のことです。いずれも第16代滋賀県知事を務めた堀田義次郎の書です。

佐和山隧道東口題額拓本

佐和山隧道の東口上部に掲げられた題額の拓本で、右から「茂逢遂路」と書かれています。「遂路」は「隧道」と同じでトンネルのことと思われます。また、「茂」には「優れている」、「逢」には「大きい」の意味があり、“佐和山隧道は大きく優れたトンネルである"と賛辞を贈っているものとみられます。

佐和山隧道西口題額拓本

佐和山隧道の西口上部に掲げられた題額の拓本で、右から策書で「玄玄妙門」と書かれています。これは『老子』の「玄之又玄、衆妙之門」という一節によるものと思われます。
『老子』では「玄という奥深いかすかな所が、さまざまな微妙な現象を産み出す門なのである」という意味で、トンネルと全く関係ありません が、トンネルに適した意味を探りたくなる言葉です。

賤ヶ嶽隧道西口題額原稿

賤ヶ嶽隧道の西口上部に掲げられた題額の原稿で、右から策書で「周道如匡」(周 道を匡す如し)と書かれているかと思われます。曲がりくねって山の中をめぐっている道をトンネルでまっすぐにただす、という意味かと思われます。「赤城」とは、堀田義次郎のことです。

賤ヶ嶽隧道古写真

大正10年(1921)から高島郡の海津から伊香郡の木之本までを結ぶ道路工事計画が始まり、その一貫として賤ヶ嶽隧道(現在の長浜市木之本町に所在)が建設され、同隧道は昭和2年(1927)に竣工しました。開通後は、木之本と塩津浜を結ぶバス路線も運行されました。

佐和山隧道古写真

大正13年(1924)に完成した佐和山隧道の古写真です。日の丸が掲げられ、武士の姿に仮装した人などが練り歩き、お祝いムードが伝わってきます。この古写真が、 佐和山隧道の開通時のときのものであればより理解しやすいですが、残念ながらどの時の風景かは分かりません。とはいうものの、少なくとも佐和山隧道がお祝いをするに足る場所だったことが分かります。それは、地元の人々が待ち望んでいたものが実現した場所だったからでしょう。

佐和山隧道開通紀念祝賀会祝詞
大正13年6月23日
感謝状
大正13年6月23日

上林為次郎による佐和山隧道開通紀念祝賀会祝詞では、町村民が多年にわたって期待していたトンネルである、交通を整備することはその地方の発展の先駆けになるものである、などと佐和山隧道が開通することの意義が述べられています。
佐和山隧道竣工式協賛会から松居六三郎に贈られた感謝状では、佐和山隧道がこの地方の町村民の大きな利益になるため、愛郷の念、犠牲的精神から、松居六三郎がこの工事の請け負ったこと、第一次世界大戦の影響で物資や労力の確保に苦労したこと、軟弱な地盤のため難工事になったことなどが述べられています。